行政に望むこと。
こんにちは、チャバティ64です。
今朝も雨、秋晴れは続いてくれません。
テレビなどを見るとやはり同じ日本であってもあれほどの被害が出るものかと感じてしまいます。
直線でたかだか300km離れただけで、、これほどまでに台風は猛威をふるうのでしょうか?
神様は敬われる対象であって欲しい。
いまは恨まれる対象になりそうで悲しいです。
いい天気が続いても、先日の大雨でなかなか水の引かない地域が連日テレビで放送されています。
排水という意味では、公共整備になるわけで一般の人が何かを出来るわけではありません。
どこの部署でもいいので、たらい回しにしがちな行政には今後の対策をしっかり立ててもらいたいです。
「何かあってからじゃ遅い」というところをすでに超えてしまいました。
とにかく遅かった。
想定がどうこう言う問題ではありません。
一定量の雨量を超えれば洪水になる地域が存在し、土砂崩れが起きる地盤の緩いところに建築許可を出し、昔のことだからわからないと調べもせず、ことが起こってからは自衛隊、消防、警察頼み。
それで、地域の包括だの活性化だの言ってる場合じゃないでしょう?
根底から見直さなければいけません。
ことさら被害が大きく、水が引かない千葉県は県別の人口では第六位にあたります。
場所にもよりますが、都会は安全で、地方は危険という図式が成り立つように見えます。
一生懸命耕した田んぼや畑が壊滅し、どうやって暮らしていけばいいのでしょうか?
東京は地下に巨大なため池を作りそれが機能し洪水をまのがれたなどと言われていますが、ものすごい費用と先見の明で作ったものです。
いらないと言われた八ッ場ダムもしかりです。
「そこまでの費用はかけられない」というのは簡単ですが、それがあったために被害を最小限に食い止めた東京と、結果として治水すら満足に整備できておらず、洪水により死者まで出してしまった千葉とでは大きく明暗を分けたと思います。
静岡に住み、対岸の火事のごとくテレビを眺めている人間にとって、何を言うにも躊躇するところもありますが、やはり、治水などはもっとも必要な工事の一つです。
地震、海は怖い、しかし雨、河(川)も怖いということがハッキリしました。
昭和でも、たびたび洪水を起こし、堤防が決壊したこともあります。
しかし、もともとは洪水被害を案ずる江戸幕府の命において薩摩義士と呼ばれる(現在の鹿児島県)薩摩藩の英雄が治水して洪水を減らしてくれたのです。
技術も道具も乏しい中で、どんなに死に物狂いで頑張ったことでしょう。
残念なこともたくさんあり、両手離しで喜ぶわけにはいきません。
しかし2回の工事を経て(2回目は明治)洪水の被害は格段に減りました。
すべてがうまくいくとは言い切れませんが、そこは想定をする学者さんや専門家がお見えになって、官民一体で突破しなければいけない課題です。
洪水被害にあわれた地域の方には心よりお見舞い申し上げます。
お亡くなりになられた方、ご遺族には心よりお悔やみ申し上げます。
一日もはやく、いつもの生活に戻れることを無力ながら願うばかりです。