生きてて良かった!- 茶 葉 tea’s -

〇〇〇?そいつに自由はあるのかい?

今日で東日本大震災から10年がたちました。「人ひとりに出来ることは悲しくなるほど小さいよ。だから人に頼るんだ!」

こんにちは、チャバティ64です。

 

本日は東日本大震災のあった日です。

テレビでも朝から映像を流しています。

しかし、昨年に比べ非常に少なく感じます。

風化して防災意識が遠のくのを防ぐため辛くても努力して欲しいです。

 

この記事は自分が忘れないために4年前に書いたものです。

これは毎年、この日に投稿したいと思っています。

 

地震大国ニッポンは、たびたび災害をもたらします。

「昨日までおだやかだった生活」

「昨日まで美しかった街並み」

「昨日までやさしかったあの人」

本当にひどいことをする。

 

世界の人智でも、いまだできない的確な予測

いつどこで、何時かわからない不安

突然襲う大地のうねり、本当に恐怖でしかない。

 

タンスは固定する(アパート住まいはどうする?)

避難場所を確保する(近場になければどうする?)

急いで非難する(体の悪い人はどうする?)

防災用品を揃えておく(国で補助金出せよ!)

 

まさに、身近に感じることでも「どうする?」しか出てこない。

 

阪神淡路の震災の時、我が家の息子はまだ「粉ミルク」を飲んでいた。

テレビを見ていたら「粉ミルクが手に入らない」と、若いお母さんが言っていた。

「車で3時間程度の場所で...同じ日本なのに...そんなことって…」

ボクは、すぐに薬局へ粉ミルクを買いにいった。

 

なけなしのお金だったから沢山は買えなかったけど、しょげてるボクを見て、薬局のおじさんがすごく値引きしてくれた。

そのおかげで「二缶も」余分に買えた!

(薬局のおじさん、本当にありがとう!)

 

ミルクを手に入れたボクは、テレビで映った大阪へ向かう決意をした。

家に帰ると今度はかみさんに泣きながら止められた。

「無理だよ、たどり着けないよ」って

「うちだって子供が小さいんだから、義援金送るから」って

 

仕方がないので国道のトラックステーションに行き「大阪」「なにわ」「和泉」「堺」「神戸」「姫路」などのナンバーを見つけると、行き先を聞き、運転手さんに粉ミルク缶を託した。

 

「自分のエゴ100%」だってことはわかってる。

偽善者と呼ばれようとなんでもいい。

ボクは恥ずかしさも忘れ、目を真っ赤にしながらお願いした。

 

「誰でもいいから困っている人に渡して欲しいんだ!」

 

ところが運転手さんは、みなイヤな顔ひとつせず快諾してくれた。

 

中にはお礼を言ってくれる運転手さんもいた。

誰のためでもない「世界一美しいお礼」だと、ボクは思った。

(あのときの運転手さん達、本当にありがとう!)

 

そして、その時小さかった我が家の子供が高校を上がるころ...

それは本当に忘れた頃だった。

 

東北の震災だ。 

東北では火事よりも津波による被害が大きかった。

特に福島、宮城の浜通りには知り合いがたくさんいて、ボクは2週間後に石巻へお手伝いにいった。

 

千葉を過ぎると電柱が斜めになっていて平衡感覚がおかしくなり気分が悪い。

通り過ぎる車はほぼ自衛隊の車両で、高速道路の継ぎ目に「ものすごい段差」があって到着する前にパンクするんじゃないかと不安を覚えた。

ガソリンスタンドもない、コンビニもない、あたりは一面が更地のようだった。

 

道路脇にはつぶれた車がズラッと並んでいた。

「これが被災地というものか」背筋が震えっぱなしだった。

(携帯で動画を撮りましたが、11年たった今でも怖くて見れません)

 

市役所脇で重機が規則正しく縦に穴をいくつも掘っていた。

ちょうど棺が入るくらいだろうか?

 

やっとの思いで石巻港に着いた。

岸壁に「見上げるような大きな船」があった。

まるでオブジェのように鎮座している。

理解するまで少し時間がかかった。

 

となりの大きな工場の3階付近に「ゴミ」がたくさん付いていた。

聞いたら「あそこまで水が来たんだよ」って言われた。

想像したら「絶対に助からない」って、今度はすぐに理解できた。

 

地元の若い彼に話を聞いた…

 

「港の水が一気に10メートルくらい引いたんだ」

チリ沖地震の時とは比べ物にならない規模だって思ったそうだ。

マズイと思って、そこらにいた漁師のお年寄りをむりやり軽トラックの荷台に乗れるだけ乗せて高台に避難させた。

高台では遠くから津波が来るのが見えた。

 

それでも二往復出来た。

三度目は、すでにむかえなかった。

「もう少し気づくのが早ければ、もっと助けることが出来たのに…」

と、その彼は悔やんだ。

 

こういう人が、人の上に立てば本当に良い世の中が出来ると素直に思った。

 

tyabatea.hatenablog.com

読んで欲しいです、情報ください!m( _ _ )m

 

 

寄付も有名人の活動も素晴らしいけど、こういう人が地元と共存していく以上「対策と支援は継続することが大切」だと痛感した。

 

ボクはわずかながらお手伝いをして静岡へ帰った。

二日後、名古屋のとある企業へ行ったら車から放射線が検知され入場を拒否された。

その後、静岡のお茶からも放射線が検知され、風評被害が二年ほど続きます。

 

一生忘れることのない自分の体験です。 

友人も知人もたくさんの方が亡くなりました。

お世話になって恩返しも出来なかったなんて申し訳なさすぎる。

本当に悔やまれます。

 

想定外としての原発事故もありました。

しばらく前に、甲状腺異常の子供を隠ぺいする記事がありました。

信じられないですよね。

 

tyabatea.hatenablog.com

放射線の恐ろしさは想像を超えます

 

 

政治家先生、自分のお子さんなら冷静にいられますか?

ご自身が被ばくしたら「東北でよかった」と発言できますか?

心のない人しか政治家になれないのですか?

 

これ以上、人災がないことをせつに祈ります。

 

被災された方には心よりお見舞い申し上げます。

お亡くなりになられた方には11年の時が経ち現状をご報告申し上げます。

 

いまも良いことはあまりありません。

コロナの瀬戸際でしょうか?

海外では戦争が起きています。

 

これは人が原因なんでしょうね。

しかし、どうすることも出来ないのが震災と同じです。

世界中で生きているのが辛くなる人が年々増えていきます。

 

一度でいいから頼りたいなぁ。

ねぇ神様、オレはあんたのことが嫌いになりそうだよ!

 

過去を思い落ち込むチャバティ64でした。

 

合掌