こんにちは、チャバティ64です。
渡哲也さんの逝去に際し謹んでお悔やみ申し上げます。
素晴らしい世界のの具現者として沢山の夢を見させていただきました。
特に西部警察は日本らしくない派手な演出とアクションで子供たちの話題の中心でした。
「オバケ煙突倒すって!」
「今度は戦車走らすらしいよ!」
ボクも心を熱くしていただいた一人です。
本当に残念なことです。
仕事はいい香りのするお茶の販売員をしています。
BASEショップで「お茶の愛葉園」(あいばえん)
というネットショップも趣味で運営しています。
よろしくお願いします。
ボクは家族葬という言葉が嫌いです。
家族葬というものは一体なんなんでしょう?
定義がわかりません。
14日にニュースを見ました。
10日にお亡くなりになっていました。
渡さんの葬儀は家族葬で執り行い、お別れ会、しのぶ会も行わないとのことでした。
家族のような舘ひろしさんも葬儀には参列されなかったと言っていました。
「質素に送ってほしい」と、おっしゃったのでしょうが、あれほどの大スターですから
お別れしたいファンはたくさんいるのだと思います。
いままで慕って来て最後にお別れも言えないなんて残念過ぎます。
そもそも家族葬とはいったい何時頃から出てきたのでしょうか?
そもそも家族葬とはいったい何なんでしょうか?
家族以外は参列できないものなのでしょうか?
ボクは違うと思います。
派手じゃなくていい。
家族に近しい人達で質素に行って欲しい。
そういう思いから使う言葉だと思います。
それをなぜか家族のみだというようなイメージがついています。
亡くなった人に最後のお別れをしたい人はいます。
葬儀社に勤務する友人から以前聞いた話ですが、おじいさんが病床で「派手にやらなくていいから質素にやってくれ」と言われた家族は、その言葉通り「家族のみで送った」そうです。
しかし、このおじいさんは農業の世界で大変に有名な方で慕っていた方が各方面にいて、それを知らなかった家族はその後、大変な目にあったそうです。
家族といえども故人のすべてを知っているわけではありません。
そのためこのようなトラブルが後から起きるのです。
こういう家族に対するクレームみたいなことはよくあるそうです。
・あれほど働いた人をぞんざいに送った
・お金を使いたくないから人に知らせなかった。
・知らせてくれなかったから最後にお別れも出来なかった。
こういうお話を聞きました。
家族葬などと言う以上は、故人が生前に近しい人すべてに言っておいて初めて成立するものだと思います。
それでなければ残された家族にも迷惑をかけかねません。
もう一度言います。
最後にお別れをしたい人は必ずいます。
なぜなら葬儀は、その人に二度と会えないことをリアルに受け止める行事だからです。
「もう会えませんよ、あきらめて下さい」
ひとりでは受け止めきれない悲しみだからみんなで集まるんです。
それを一人ひとり受け止めるのです。
お別れも出来ず、どうやって諦めたらいいんでしょう?
地味に質素には今の世の中の流れだと思います。
しかし、ボクは家族葬という言葉が嫌いです。
それは定義があいまいだから
残された人があきらめきれないから
悲しみが共有できないから
誰も幸せになれない気がするから。
今日のお話はここまでです。
あなたの今日がステキな一日でありますように!
チャバティ64でした。