愛の化身は「おふくろ」だった!
こんにちは「チャバティ64」です。
仕事はお茶の販売をしています。
BASEの「お茶の愛葉園」(あいばえん)
というショップを趣味で運営しています。
よろしくお願いします。
今日はリターンズはお休みで、少々長文になりました。
ボクはおふくろをとても大切にしているつもりです。
なぜ「つもり」なのかと言うと、おふくろ本人が決めることだからです。
オヤジのいなかった家庭だったので、おふくろはオヤジ兼任ですから厳しかったし、よく手も出ました。
(バファリンのほうがやさしいくらいでした 笑)
ちなみにですがボクのネームの数字「64」ですが、これは「ロクフォー」と読みます。
「ロクヨン」でも「シックスフォー」でもありません。
お気づきですか?逆から読むと「イチ・オフクロ」になるのです。
ロックな人生を願い、おふくろへの感謝とリスペクトを込め64とつけました。
(お酒の飲めないおふくろは兄と飲んでるといつも聞き役です)
田舎で、バスもなく駅まで自転車で30分かかる不便な場所で生活していて、車もなかったので、どこかに行った記憶はあまりありません。
中学の時には学校に内緒でバイトして、そのお金で自転車や教科書、制服を買い高校に入りました。
受験にもお金がかかるので私立は受けず公立一本勝負でした。
もちろん定期は買えないので、自転車で通えるところです。
今じゃ、こんな貧乏話をすれば笑われますよね。
そう考えるとブログは自由でいいですね。
今日も愚痴をテーマに書いています (笑)
少々脱線しました。
ボクはおふくろのことを、いまでも「おかあちゃん」と呼んでいます。
離れたところに暮らしているので、そんなに頻繁には会えませんが、実家にいった時には毎日、背中、腰を中心に全身を丁寧に指圧とストレッチします。
時間にして一時間半くらいですが、なかなか骨が折れます。
しかし、これくらいの事しか出来ないので、恒例になっています。
気持ちよさそうにしてるおふくろと話ながら揉んでいると子供の頃にやった「背中ふみふみ」を思い出します。
なんとなくわかりますか?
子供の体重がちょうどよく、足が小さいのでヘタな指圧よりぜんぜん効きます。
ボクも子供たちにはずいぶんやってもらいました。
特に腰の辺りが気持ちいいんですよね。
子供たちはオヤジの背中に乗って楽しく暴れてるだけですが、暴れられてるほうはスゴく気持ちいい。
まさしくウィン-ウィンの関係です (笑)
以前「母の愛は無償の愛というが、子供が母を無条件に好きだと思う気持ちを忘れるな!」というタイトルで「子供目線の愛」を書きました。
(母の愛を思い出してほしい、幼児虐待多発への警鐘のつもりで書きました)
(もしよかったらご覧下さい マジ泣けますよ...ボクが 笑)
しかし、母の愛は本当に深く尊いのです。
ボクがまだ小さかった頃の話です。
50過ぎても忘れない幼稚園時代唯一の思い出です。
兄は小学生になり、友達と遊びに行くようになりました。
あれほど毎日遊んでいたのにと、少し寂しくなりました。
以前も兄は、親戚のおじさん達が大阪万博に行ったとき、連れていってもらいましたが、ボクだけ内緒にされたことがありました。
いま思えば、やんちゃなボクが迷子にでもなったら大変という配慮だとわかります。
しかし当時は、兄がパビリオンのピンバッチを買ってきてくれましたが、嬉しくありませんでした。
内緒で行って来たというショックのほうが大きかったからです。
四畳半一間、風呂無しの借家でポツンと、つまらなく思いながら、おふくろが帰ってくるのを毎日、図鑑を見ながらひたすら待っていました。
そんなある日曜日のことです。
兄は朝から友達と出かけました。
すると、おふくろが「お兄ちゃんに内緒でデパートいこか?」と言いました。
デパートは、一度行ったことがあり、遊具があって、とても楽しいところだった記憶がありました。
ボクは「いく~!」と喜びました。
それからおふくろと手をつないで駅まで歩きました。
途中、おんぶしてもらって一時間くらいかかったと思います。
不思議とデパートで遊んだ記憶はあまりありません。
今でも思い出すのは食事の時のことです。
ボクはデパート屋上の売店のような食堂にいきました。
外食は滅多になかったので、テンション高めです。
忘れもしない「うどん 90円」の文字。
ボクはうどんが好きなのでこれにしようと思いました。
おふくろも同じでいいと言っていました。
注文するまさにその時「うなぎ丼 350円」の文字が見えました。
ボクは当時、昆虫、魚、動物が大好きでいつもヒマな時は図鑑を眺めて時間を過ごす子供でした。
そのため、多少の漢字も読めました。
あろうことか何も思わず、その誘惑に負けてしまったのです。
「おかあちゃん、うなぎ丼ってどんなやつやの?」
「おいしいの?」
おふくろはニッコリ笑って「食べてみやぁ分かるわ」と言い「うなぎ丼」を一つ注文してくれました。
そして、それが来ました。
「おいしい~!」
ボクは驚きました。
子供ですから、あの甘いタレは食べたことのないおいしさです。
「お兄ちゃんには内緒やでな」
おふくろはニッコリ笑って言いました。
ボクはおかあちゃんと秘密が出来たことにワクワクしました。
「二人だけの内緒です」
(たぶん兄もお昼分の小遣いをもらい内緒だったと思います)
そんなことを言いながらボクは食べていましたが、気付くとおふくろは何も食べていません。
90円のうどんすら頼んでなかったのです。
「おかあちゃんは何にも頼んでへんの?」
ボクは言いました
(このあたりが一番印象深いです)
「おかあちゃんなぁ、あんまりお腹すいとらへんでな」
そう、言いました。
ボクは、うな丼を差しだして「おいしいで少しでも食べやぁ」
と、箸を渡そうとしたのですが「これは、うなぎを見せてやりたかったから頼んだもんや、全部たべやぁええよ」と言いました。
それから食べ進めましたが、幼稚園のボクはとても全部食べられません。
「もう、お腹いっぱいやでおかあちゃん食べて」と言いました。
そうしたら「上に乗っ取るうなぎは全部食べな、そうしたらおかあちゃん貰うわ」と言いました。
そして、うなぎはボクが全部食べ、おふくろはタレのついたご飯を二口くらいで食べてくれました。
「どうや、うなぎはおいしかったか?」
「うん、おいしかったぁ~!」
そのときは子供ですからさほど何も考えず、家に帰ったのでした。
帰りは寝てしまい、目を覚ましたら家にいました。
ずっと駅からおぶって帰ってくれたのです。
そして、月日は流れボクも社会人になり、色々買い物が出来るようになりました。
社会人初めての給料7万円で、当時最新全自動の洗濯機を7万円で買いました。
岐阜の冬はとても寒くて、二層式では手があかぎれになってしまうからです。
次の給料までずっと買い置きしてあったインスタントラーメンでしたが、52kgだった体重が47kgまで落ちました(笑)
真面目に働けば、少しずつでもお金は貯まるもので、ハタチになったばかりのとき、実家に帰り、おふくろと外食に出ました。
何が食べたいかを聞きました。
「そうやな、うどんでええな」
おふくろは言いました。
「もうちょっと、ええもん食べて~な」
「そうや、うなぎでも食べへんか?」
(ボクの就職先が静岡でごちそうは「うなぎ」だったからです)
「そんな贅沢ええわ、うどんでええよ」
おふくろがそう言った時、突然思い出したんです。
「なぁ、オレが幼稚園の頃、デパートでうなぎを初めて食べたとき、おかあちゃん何にも食べてへんかったけどあれはなんでやったんや?」
ボクは言いました。
「あぁ、あん時か、あんたも古いこと覚えとるなぁ」
「あんときは、お腹が空いてなかったからや」
昨日のことのように即答しました。
「ほんとはちゃうやろ、帰りの電車賃とか考えて食べられへんかったんやないのか?」
「オレがうどんさえ頼んどけば、おかあちゃんも一緒にうどんが食えたんやないのか?」
「オレがうなぎを食べたいっていったばっかりに…」
「あん時はすまんかったなぁ…」
ボクは突然思い出した過去の記憶で、なぜか大粒の涙が止まらなくなりました。
「あんたなぁ、親になったらご飯食べれん時もあるんやよ」
「まずは子供に食べさせなあかん」
「ほいでな、その顔見とると腹いっぱいになるんや」
「うれしそうに食べるの見とったら腹減っとるなんて忘れてまうわ」
「うそやないよ、ほんとのことや」
「いつか思い出してくれたら、おかあちゃん嬉しいわ」
そう言って、目を真っ赤にしながらニッコリ笑ってくれました。
「親って愛の化身」だと思いました。
18で家を出ましたから記憶はせいぜい15年分です。
それなのに50過ぎても強烈な印象しかありません。
大体3ヵ月に一度行くので、これからも年に4回は会います。
でも逆を言えば、10年でも40日程度しか会えません。
毎回の指圧とストレッチ、常に真剣勝負です!
今日のお話はここまでです。
あなたの今日がステキな一日でありますように!
チャバティ64でした。