生きてて良かった!- 茶 葉 tea’s -

〇〇〇?そいつに自由はあるのかい?

「運動会」と言う名の幸福論

こんにちは「上杉克也」です。

よく言われますが、双子ではありません。

ちなみに「磯野和夫 君」とは友達です。

 

チャバティ64です。

昨日は少し熱くなってしまいました。

今日は冷静に参ります。

仕事はお茶の販売をしています。

BASEの「お茶の葉園」(あいばえん)

というショップを趣味で運営しています。

よろしくお願いします。

 

今日は「RCサクセション」の「トランジスターラジオ」からスタートです。

いつの時代も最先端を突っ走り、流れ星のごとく消えていった。

残念でなりません。

きっと回りを驚かせながら天国で熱唱してるんでしょうね。

いまも最高です!

 

さて、今日は今週のお題 運動会」についてです。 

 

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(これにてお役目終了!)

 

「運動会」という行事は皆さんお好きですか?

ボクはあまり好きではありませんでした。

 

足もさほど速くなく、何が取り柄と言うこともありません。

活躍しても見てくれる人も来ていません。

ボクにとってはお昼に「お弁当」を、グランド隅にシートを引いて、家族で丸くなって楽しそうに食べているのを横目で見ながら、友達と一緒に教室で食べるという行事だったからです。

 

運動会の日は給食がありません。

お弁当をもっているボクは、まだ行事の特別感がありましたが、菓子パンや総菜のおいなりさんを持っている友達もいました。

いま思っても、家庭の事情は様々で、皆が参加できるわけではないので仕方ないことなんですが、なんだか小学生ながら何ともいえない寂しさ(格差)を感じてしまうのです。

 

そんなことで自分の中では「運動会は憂鬱」な行事として定着化されつつあったのですが...。

忘れもしない小学校3年生の時の「運動会」です。

当日朝に「おかあちゃん(人に言う時は「おふくろ」で本人には「おかあちゃん」と呼んでます)が、お弁当と水筒を持たせてくれました。

 

かあちゃん「頑張るんだよ、見とるでね」

そう言いました。

「一生懸命走るよ!」ボクはそう言いました。

その年、ボクはリレーの選手に選ばれていました。

 

運動会が始まりました。

「玉入れ」「綱引き」「徒競走」と進みます。

さて、お昼になりました。

 

先生に連れられ、みんなで教室に行きました。

ここ3年間メンバーは、ほぼ決まっています。

みんなで楽しく食べていたつもりでした。

しかし、今年は少し違います。

 

午後に学級対抗リレーが控えていたからです。

足が特別速いわけではなかったのですが、なぜかメンバーに入っていたんです。 

「バトンを落としたらどうしよう」

「抜かれちゃったらどうしよう」

 

不安がいっぱいです。

 

午後の競技に入りました。

ボクはリレーのことが頭から離れません。

そして、その時間はやってきました。

 

リレーは最終競技なので、メンバーは入場門に集合してグランドを一周行進します。

なんだかお披露目のようで誇らしいです。

そんなときに目に飛び込ん来たのです。

 

「ガンバレ~!」

大きな声で、さけびながら手を振っています。

「まさか?」

ボクは目をこすりました。

間違いなく「おかあちゃん」です。

 

ねずみ色の作業服を着て、満面の笑顔で手を振っています。

ボクは「うれしくて、うれしくて、うれしくて!」たまらない気持ちになりました。

入場行進中なのに両手で大きく振りかえしました。

「絶対、カッコイイとこを見せなきゃ!」

 

そしてリレーが始まりました。

何かが乗り移ったかのごとく走りました。

いま思い返しても、あれほど速く走れたことはありません。

 

コーナーで一瞬「おかあちゃんが見えました。

「いけ~!」声が聞えました。

ボクは精一杯走り、一人抜くことが出来ました。

 

すぐにおかあちゃんのところへ行きました。

「お仕事は?」ボクは言いました。

 

「今日はリレーに出るって聞いてたでな」

「間に合うと思って抜けさせてもらったんやよ」

「カッコよかったなぁ」

 

「来れて、よかったわぁ」

 

そう言うとおかあちゃんは、しゃがみこみ「ギュッ」と、両手で抱きしめてくれました。

友達もいたので少し恥ずかしかったけど、それよりも「うれしくて、うれしくて、うれしくて!」ボクは泣いてしまいました。

 

生まれて初めてのうれし泣きです。

 

「何を泣いとんのや、この子は」

そう言うと「おかあちゃんも、涙をこぼしていました。

 

「ごめんなぁ、いつもこれんでなぁ」

「ごめんなぁ、ほんとにごめんなぁ」

 

 

ボクは思いました。

「リレーに出ればおかあちゃんが見に来てくれる」

それから一生懸命頑張り、卒業まで毎回リレーの選手になりました。

しかし、おかあちゃんが来てくれたのはこの一度だけでした。

それでも、すごくうれしかったのを覚えています。

 

その反動でしょうか?ボクは自分が所帯を持ってから、保育園から高校卒業まで、子供たちの行事という行事はすべて出ました。

子供にイヤがられることもあったかもしれませんが、学業の参加できることは、すべて出ました。

どれほどこだわっていたかと言うと、進行性の悪い細胞の手術を2ヵ月先延ばしにして卒業式に出てから、その翌日に入院したほどです。

バカでしょ?

「入学式」「授業参観」「発表会」「遠足」「進路相談」「卒業式」など、いい思い出ばかりですが、やはり子供達と、かみさんと一緒にグランドの隅にシートを敷いて食べた「運動会のおにぎりの味」は、やはり格別でした。

 

本当にウマかった!

あこがれてたんだ!

こういう運動会に!

かなえてくれてありがとう!

みんな、みんな、ありがとう!

 

今日のお話はここまでです。

あなたの今日がステキな一日でありますように!

チャバティ64でした。