千原ジュニアさんとケンドーコバヤシさんに読んで貰いたい!
こんにちは、チャバティ64です。
前回、一台目の「750RS」を買う動機までをお話しました。
「ヨシムラさん(伊藤さん)」はお元気でしょうか?(笑)
さて、今回はなぜ3台乗り継いだのかを説明します。
大した理由はないんですが...
(スタッドボルトを折ったCB750FBです)
大好きだったスイカRS、少し改造して楽しんでいました。
特にマフラーを変えて、センタースタンドを外した時の軽快感はすごく衝撃的でした。
音は思ったほど大きくなく、むしろノーマルの方が迫力があって抜けもよく、峠は良かったですが、最高速は伸びなくなった覚えがあります。
しかし、音質はバツグンで回したときの「コァーン」という伸びのある「咆哮」は最高でした!
あとは、解体屋さんで見つけた「BEET?のバックステップ」と「メーカー不明のリアサス」「コンチハン」くらいです。
自分で探して自分で外さないといけないけど。みんな笑えるような値段でしたよ。
(ノーマルリアサスがパンクしたため探しに行って見つけた戦利品)
ちなみに、先輩のZ750FDが、ヨシムラ86キットを組んでカムとキャブを変えたら手曲げじゃ「サイレンサー」抜いて「直管」にしても、排気が抜けなくてノーマルに戻したほうが速かったと言ってました。
CRのセッティングも随分違った覚えがあります。
「モリワキのモナカ」は、当時完全なレース用で一般人の手に入るようなものではなく「フォーサイト」もZ用(750)は出て無かったですね。
その数年後に「Z1が大量帰省」を果たし「カーカー」とか「バンス」とかがメジャーになりました。
(カッコイイかどうかは個人の気持ちです)
今のマフラーは、アルミやステンレス、チタンやカーボンなんてのもあるくらいラインナップ豊富ですが、当時はやはり「鉄」で、この鉄管特有のエキゾーストノートには皆がシビレたものです。
まさしく「初夏の咆哮」でしたね!
(青春はさすがに言い過ぎかと)
余談ですが(いつも余談しかない)ボクが一台目のRSを買ったときは、まだヨシムラの手曲げ管(モリワキもあったと思います)が売っていました。
(その一年後くらいに生産中止になりました)
注文は電話してからヨシムラへ直接書留で現金を送りました。
小学生の時から目に焼き付いている
「火の玉RS」の「ヨシムラさんちの黒い熊手(笑)」です。
現物が大きな段ボールで届いたときには開封せずにベッドで一緒に寝ました。
(寮に住んでいて置くスペースがなかったためです、けして変態ではありません)
二晩一緒に寝て(笑)待ちに待った休日です。
遠足に行く小学生のごとく前日眠れず、当日も朝早くから起きてしまい、明るくなるのとともに車庫に向かいました。
車庫には電気も無かったため、日の出ではまだ暗く、外で定番Mコーヒーを飲みながらタバコを吸って待ちました。走りに行きたかったのですが、温めてしまっては元も子もありません。早起きした意味はなんだったんでしょうね?
さて、外も明るくなって手元が見えるようになりました。
慎重に作業開始です。
当時は改造しないバイクのほうが少ないほど、マフラーやハンドルを変えることがメジャーで、よく先輩のバイクの部品交換を手伝っていました。
前回、CB750FBの「モリワキさんの黒い熊手(笑)」交換の際、錆びたスタッドボルトを折るという最悪のハプニングがあり、排気漏れのまま走って近所のボーリング屋さんで抜いてもらった記憶が蘇ります。
「怖え~っ」
ボクはマフラーを注文した時からフランジとボルト近辺にCRCをたっぷり吹き付け、この日を待っていました。(姑息)
しかも、京都機械工具(KTC)のメガネスパナ(ミラーツール)を買い(ドレン用の一本しか持っていなかった)プラハンと新品のフランジナットも揃え、まさしく準備万端です。もちろん「マフラーガスケット」も用意しました。
しかしこの後「空前絶後前代未聞のハプニング?」が、ボクを襲います。
続きはまた明日お送りします。
(まだ一台目だけど?3台乗り継いだんだよね?)
どこからかツッコミが聞えるようです。
あなたの今日がステキな一日でありますように!
チャバティ64でした。