生きてて良かった!- 茶 葉 tea’s -

〇〇〇?そいつに自由はあるのかい?

小学生のボクと、ヨシムラさんのお話

こんにちは、チャバティ64です。

 

今日はなぜRSだったのか?なぜ3台乗り継いだのか?

聞きたくない話を無理にお話します。

  

 

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(当時は52kgでした、今は95kgあります 汗)

 

ちなみに

1台目が49年式のスイカカラー(15万円)写真

2台目が50年式の青に金黒カラー(20万円)

3台目が48年式の火の玉カラー(30万円)でした。

 

実際には2台目と3台目の間に忍者750(輸出仕様フルパワーという変わりダネ)を所有していました。

 

ボクがこのバイクを始めて見たのは小学2年生(8歳)のときでした。

 

当時岐阜に住んでおり、小学校へ行くのに集団登校をしていました。

集合場所が八幡神社というところでした。(とてもありがちな名前です)

その向かいの家にある日突然「750RS」が玄関に置いてありました。

 

第一印象はとにかく「オレンジ色がカッコイイ!鏡みたいにピカピカしてキレイ!」

友達と近寄って見たら

 

「デカい!」とんでもなく「デカい!」

 

当時、背の高さがタンクくらいまでだから当然です。

 

前に回ると、一つ目(ヘッドライト)が頭のはるか上にある、ちょっと怖かった。

タイヤの上のピカピカの所(Fフェンダー)に顔が歪んで映っていた。

横から羽が生えている(マフラー)もしかして?飛ぶのか?

 

「なんかスゲェ!」

 

動物園で一度見た「ゴリラ」(似た人)が乗ってるに決まってる。(失礼)

 

横に何か書いてあるけど英語は読めない「750」だけはわかった。

それから毎日見に行った。下校の時は置いてないからどこ行ってんだろう?

名前も分からないゴリラみたいな人、どんな人なんだろう?

(この家には表札が無かった)

 

そして、しばらくしたある日、なんだかピカピカしていなくなった。

 

「あれ?」なにか違う?

「!!」 羽がない!?

 

羽のかわりに黒い鉄の「熊手」がついていた。

 

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(写真はCB750K2に付けていたもの)

 

「集合管である!」

 

当時、そんなこと知る由もなく、メッキ部分が減ってピカピカ度が下がったのだ。

 

しかし、ここで重大なことが判明する(笑)持ち主の名前である(爆笑)

 

自分の持ち物には名前を書くのがあたりまえ、これ小学生の常識!

当時も「名前ペン」「名前シール」は必需品!!

 

たしかに、黒い熊手の取っ手(パイプ)には「赤いシールに銀色の文字」

 

「ヨシムラ」と書いてある。

 

何か書いてあるけど英語は読めない「ヨシムラ」だけはわかった。

 

この日からバイクの持ち主は「ヨシムラさん」になった(笑)

(本当は伊藤さんでした)

 

それから2年ほど毎日見に行った。

一度だけ、頭がモジャモジャの背の高い細身のゴリラを見た。

 

「スゴイ音がした!」

 

なぜ2年なのか?ボクが転校してしまったから。

 

その時の強烈のインパクトがずっと離れず、社会人になったらすぐに免許を取り、すぐに買った。(限定解除の話もいずれやります)

 

当時、すでに古いバイクだったため実働のタマが少なく結構探した。

「火の玉カラー」を探したけど「RS」すら全然見つからない。

ヤマハオートセンター(現 レッドバロン)にすらない。

 

性能のいい「Z750F」は、あったが「意地でも妥協する気」は、なかった。

(船場の倉庫に眠っていたという「走行300kmのZ1-R」にはクラっと来たけど「意地でも妥協できる値段」じゃなかった 笑)

 

休みの前日に、たまたま風呂で先輩に教えてもらった小さな店に

「スイカカラーのRS」があり程度も良く即決めした!

 

バイク屋さんのオヤジさんに

「こんな古いの20万じゃ高い、15万に負けて」って頼んだら

「まぁ、いいよ」って、そんな時代でした。

買ってからは前述の通りです。

 

さて、やっと一台目を買うところまでお話しました。(笑)

 

今日のお話はここまでです。

あなたの今日がステキな一日でありますように!

チャバティ64でした。