西郷どんシリーズ?完結編
こんにちは、チャバティ64です。
さてさて「西郷どんシリーズ完結編」です。
(すでに西郷のサの字も出てきません)
居酒屋さんでバッタリ会った無口なおじさんを質問攻めにします。
(日本の夜ふけぜよ!)
よくよく聞けば、おじさんは仕事を探しながら日本中を回っているらしく、どこへ行っても「鹿児島弁」が、聞き返されるばかりで理解されない。
標準語で説明も出来ない。
困った挙句、同郷の人としか話をしなくなった。
無口になった理由はわかった。
しかし「鹿児島の人」と聞いて、さらに話をしたくなり、しつこくいろんな話を少しずつ聞いていきました。
その中で、すごく驚いたことが「2つ」ありました。
ひとつは、おじさんの出身が鹿児島の川内(現 薩摩川内市)で、よくよく聞いたら実家の隣の隣の家の人だった。
(20年後におばあさんの葬式に行った時に再会した)
こんなことってあるんだ?
世間が狭いというレベルではなく本当に驚いた!
しかし、こちらが本題です。
おじさんに聞いた「日本の中でどこが一番よかった?」
即答で「かごしま」
これは予想通り、鹿児島以外はどこ?
即答で「ぎふ」
どうして ???
おじさんは言った「岐阜の大垣」と、いうところへ初めて仕事に3か月間行ったときのこと。
まず職場の人に紹介してもらった時、ほかの人もいたが「かごしまの人」と、言われた瞬間!「あきらかに他と違うすごい拍手」が起きたそうだ。
仕事が終わり寄宿舎へ帰ろうとすると、職長さんが「時間があるか」を、聞いてきた。
「特に用事はない」旨を伝えると、
「すぐに車に乗せられ家まで」連れていかれた。
家に行くと、職長の奥さん、お父さん、お母さんもいて、テーブルには「とても豪勢な料理」が、ところ狭しと並んでいた。
とても5人で食べきれる量じゃない。
なんと「さつま白波」までおいてある
「しかも一升瓶3本!」
職長のお父さんが頭を下げながら『今日は本当によくきてくださった、ぜひ泊っていってください。
「何のご馳走もない」ですけど、遠慮せず好きなだけ飲んで食べていって下さい』
と、言ったそうだ。
(岐阜弁を標準語変換してあります)
「どうして期間社員の自分にこんなことをしてくれるのだろう?」と不思議に思った。
おじさんは言った「期間社員で、来たばかりの自分に、こんなことしてもらって申し訳ないです」
お父さんはこう返したそうだ
「申し訳ないのはこちらのほうだ」
「その昔、鹿児島の人が川を分けてくれなければみんな死んでたんだ」
「今があるのは鹿児島の人達のおかげだ」
「当時の犠牲者には申し訳ないが、今となっては何もしてやれない」
「せめて「子孫」に少しでも恩返しさせてもらえればありがたい」と言った。
お父さんのお父さんも、そのまたお父さんも同じことを言い、お酒をふるまったそうだ。
鹿児島出身の自分が知らないことを、知らないところで、ご先祖様が敬われていたのだった。
すごく「誇らしい」気持ちになったそうだ。
その後もあちこちでよばれ続け、期間中、晩御飯を一人で食べることは無かったそうだ。
ウソのようなホントの話だそうです。
その後、このおじさん以外にも鹿児島の方から同じような話を聞きました。
時を経てもずっと感謝し、尊敬し続けているのです。
どちらにも身を置く自分としては「日本の美徳」が、まざまざと感じられました。
鹿児島の英霊よ、安らかなれ!
(あえて英霊という言葉を使わせていただきます)
ちなみにですが、今でも犠牲者が分骨された鹿児島の「大中寺」(曹洞宗)に岐阜から毎年お参りに行く方も多く、また、反対に鹿児島から岐阜の治水神社や各所の史跡や「天照寺」(浄土宗)や「海蔵寺」(曹洞宗)その他、数ヵ所のお寺にお参りにお見えになります。
ボクは実家の菩提寺が天照寺のとなりなので、実家に帰るたび手を合わせます。
詳しい場所などを調べてアップしてくださっている方が大勢お見えになります。
リンクの張り方がわからないので申し訳ないですが一度検索してみてください。
ネットの普及でいろいろと便利になりましたが、こういうことを調べてアップしている方には本当に頭が下がります。
ありがとうございます!
ぜひ、岐阜(美濃地方)へ、お立ち寄りの際は思い出して下さい。
よろしくお願いします。
これにて「西郷どん編」(?)完結です。
最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。
あなたの今日がステキな一日でありますように!
チャバティ64でした。